“I do not paint light. I archive it.”
「わたしは光を描くのではない。光を記録している」
わたしは目に見えるものを描いているのではありません。
この世界に遍在(へんざい)する根源的な光を採集し、翻訳し、そして記録しているのです。
2020年、わたしは原因不明の脳出血によって、突如として言葉を失いました。
それまで当たり前だった日常は一瞬にして崩れ去り、過酷な世界の崩壊を経験しました。脳の大手術と、その後も容赦なく続く激しい痙攣。生と死の境界線を何度も彷徨い、意識の深い闇を漂うなかで、わたしは「ある絶対的な光」に包まれました。
それは、人間の視覚が捉える日常的な光を遥かに超越した存在でした。
希望という言葉ではあまりにも浅く、生命という概念ではあまりにも収まりきらない、圧倒的な何か。
その光は、失われた言葉を取り戻し、世界を認識するための新たな解像度をわたしに授け、生きる力を呼び覚まし、再びわたしをこの現実へと連れ戻してくれたのです。
生死の淵を潜り抜けたあの日を境に、わたしの世界は一変しました。
回復の過程で、ひとつの揺るぎない確信が生まれたのです。
人も、自然も、土地も、空間も、時間も、真空にある記憶も。この世界に実在するすべてのものは、単なる物質的な輪郭ではなく、光の集合体であり、エネルギーの集合体であるということを。
不思議なことに、それまでアートとは全く無縁だったわたしの手が、ある時、自然に動き始めました。その瞬間、わたしはこれを目に見える形として表現していかなければならないと、言葉を超えた絶対的な熱い想いに、強く激しく突き動かされたのです。
わたしがキャンバスに向き合い、命を懸けて行っていること。それは、人、もの、場所、瞬間などが持つ、目には見えない光のエネルギーの集合体を可視化することです。
作品に現れる色彩や線は、対象が発する振動の痕跡であり、生命が放つ響きの純粋な軌跡そのものです。
一本の線は、生命が時間を駆け抜けた永遠の軌跡。
ひとつの色彩は、存在がその瞬間に放った感情の周波数。
そして余白は、その光が息づき、呼吸するための神聖な空間。
わたしの作品は、風景画でも抽象画でもありません。
人、土地、空間、時間、記憶の深層に宿る、目には見えない「光の肖像」です。
同じ光は二度と現れず、同じ瞬間も二度と訪れません。宇宙の因果のなかで、その一瞬にしか存在し得ない光だからこそ、同じ作品が二度と生まれることはないのです。
わたしは芸術作品を創造しているのではなく、その瞬間にしか存在しない「光のエネルギー」をただ翻訳し、肖像画として記録しているのです。
人類は長い歴史のなかで、ありとあらゆる文明を記録してきました。
出来事を言葉で綴り、思想を哲学として残し、文化を造形として遺してきました。しかし、生命そのものが、あるいは空間や時間が、その瞬間に確かに放っていた「純粋な光のエネルギー」については、未だ十分に記録されていません。
形あるものはいつか風化し、言葉は時代とともに変容しますが、存在の放った光のエネルギーは、時空を超えて不変の価値を持ち続けます。
「LUMINOUS ARCHIVE(光源記録)」とは、絵画のシリーズ名ではありません。
万物という存在が、人間という存在が、この時代に、この地球上でどのような光を放ち、生きていたのかを、遥か未来へと遺すための生涯をかけたプロジェクトなのです。
作品の前に立ったとき、鑑賞者が目にするものは絵の具の積層ではありません。
ある者は深い静寂のなかに大いなる安らぎを見出し、
ある者は細胞の奥に眠っていた記憶を呼び覚まし、
またある者は説明のつかない希望や、自己の奥底に眠る圧倒的な力に触れることになるでしょう。
それは作品が何かを語りかけているのではなく、作品という精緻(せいち)な媒体を通じて、皆様自身の内なる光が共鳴し、「本来の自分自身との再会」を果たしているからに他なりません。
いま、わたしの胸には、抑えきれないほどの熱く激しい意乗り(祈り)が溢れています。
あの日、暗闇の底からわたしを救い、生きる力を与えてくれたこの希望の光を、国境も、言語も、あらゆる壁を突き破って世界中へ届けたい。
わたしが命のすべてを懸けて届けるのは、皆様を、そして世界中の生命を美しく再起動させる、光の媒体そのものなのです。
深い暗闇を知るわたしだからこそ、今、世界を照らす純粋な光を放つことができると信じています。
わたしは今日もまた、新たな光のエネルギーの痕跡(こんせき)を記録し続けています。